「私が生きた」という実感

「私が生きた」という実感をもったとき、誰によっても奪われることのないものになる。「創造」の実感も伴う。それが明確になればなるほど一般的な社会的評価はそれほど気にならなくなるし、それは普遍的な存在の一部としての責任を果たしたという自己評価につながる。

 

(こころの処方箋ー新潮社  河合隼雄 著 より)