歴史的名曲=理念

歴史手的名曲は理念とイコール。

歴史的名曲は、音楽家が熟練するほどに一体化する。

そして、

演奏するとき、知覚が厳密なる統一と連絡とを保ち、注意は始終物に向けられ、前の作用が自ら後者を惹起しその間に思惟の入る隙間もない。

つまり、アウトプットするとき考えるということがない。

心身も含め自然全体として一致している状態と見ることができる。

だから、

名曲は世界中を感動させる。

名曲を理念に置き換えれば同じこと。

理念は世界中を感動させる。

 

 

西田幾多郎の次の文章より発想

純粋経験の現在は、現在について考えうる時、已に現在にあらずというような思想上の現在ではない。意識上の事実としての現在には、いくらかの時間的継続がなければならない。即ち意識の焦点がいつでも現在となる。それで、純粋経験の範囲は自ずから注意の範囲と一致する。我々は少しの思想も交えず、主客未分の状態に注意を転じて行くことができる。例えば一生懸命に断崖を上がる場合の如き、音楽家が熟練の曲を奏するときの如き、全く知覚の連続と言ってもよい。動物の本能的動作にも必ずかくの如き精神状態が伴っている。これらの精神現象においては、知覚が厳密なる統一と連絡とを保ち、意識が一より他に転ずるも、注意は始終物に向けられ、前の作用が自ら後者を惹起しその間に思惟を入るべき少しの亀裂もない。これを瞬間的知覚と比較するに、注意の推移、時間の長短こそあれ、その直接にして主客合一の点においては少しの差別もないのである。